Memories<99/07/03>


遠いLEGOの記憶

とLEGOとの出会いは小学校低学年の頃である。基本セット「044あるいはそのシリーズのセット」あたりが始まりであった。その基本セットからLEGOに夢中になり、百貨店へ行く機会がある度、玩具売場を覗き、都度親にねだっていた。しかし、親が期待に応えてくれたのは、誕生日、クリスマス含めて年5回位であったと思う。

近所にいた1学年下の遊び友達、T.K.君も私のLEGO収集に誘発され同様にコレクションを増やしていった。
2人の少年のごく一般的な興味の対象として選ばれたのは「汽車セット」であった。少年達は当時の白い枕木、青いレールを互いに混ぜあわせ巨大なレイアウトを組みあげ、駅、町を作っては壊しをくり返していた。お互いのLEGOを識別する目的で、私が提供した枕木・レールの裏中央部には黒マジックでマークを付けてあり、陽も暮れて帰る頃にはその分別作業に時間を割いた。

は増えていく私のLEGOにお片付け箱を自作してくれた。廃品の木製勉強机の大きく平らな引出しに仕切り板を複数枚立て、小部屋を作る。私もワクワクしながら製作を手伝ったつもりでいるが、実際はジャマであったであろう。
母は私のことを「レゴキチ○イ」といっていた。小学校から帰宅後は外で遊ぶのが基本であったが、家にいる時はTVアニメを見ているかLEGOをかき混ぜていた。私の記憶では当時の私のおもちゃは「ビー玉」に代表される駄菓子屋系オモチャと「ミニカー」「LEGO」しかなかった。T.K.君が持っていた国民的おもちゃ「プラレール」を私は何故か持っていなかった。

子供の記憶力、集中力、吸収力は偉大である。当時の私は購入したセットを一度組上げると、その手順は大抵1回でマスターした。2回目以降何も見ないで組上げるサマに父がえらく感心したことを今でも私ははっきりと覚えている。しかしそれは子供にとってまったく苦労を必要としない。LEGOの例でなくとも、成長期の子供のそれら高い能力に感心するお父さん、お母さんは非常に多いと思う。よって私はTVゲームより先にLEGOを与えることに決めている。

はLEGOから興味を無くした時期を覚えていない。おそらく「興味をなくす」という事象は「興味をもつ」事象よりも長い時間を要するからであろう。当時所有していたLEGOをイトコ「T氏」にすべて譲った事実を覚えているが最終的にどれくらいのボリュームになっていたのかさえ記憶が無い。その後いくつかの親族に受継がれイトコ「T氏」が自分の子供の為に所持している。私が当時集めたLEGOの大半はどこかへ消えうせていたがその断片を別のページで紹介することにする。

っていた興味がしばし復活したのは大学3〜4年生の頃である。何とかお金を工面して消防車セット等数点を購入したが会社の寮生活に入る際に誰かに譲った。しかし入社後、自分の自由になる資金と共に時々気にいったモデルを購入し始める。

5年程前に長女の為にDuploを購入し、昔とは明らかに違うLEGOとの接し方を始め、長男の誕生後、長男の将来の為という口実を得た私はTechnicモデルを買い、昨今のブームに便乗、多少の散財に少し気付きはじめている。

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